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由布院の冬はとても寒いニャン

由布院の冬は寒い。東京や大阪などからお見えのお客様は「九州だから暖かい」だろうと予見を持ってお越しになる。おっとどっこい、由布院の最低気温は、例年だと「あの札幌」の最低気温と肩を並べることが多いのだ。
 だからというわけではないのだが、我が家の猫ちゃんスタッフたちはご多分に漏れず、とても寒がりだ。写真のように、朝から晩まで「ストーブのお守り」に余念が無い。ストーブの安全ガードに立ち上がって、ペタッと体をくっつけるポーズが今の流行だ。ベーという猫が始めた。d0248399_1973981.jpg
 はやりといえば、ちょっと困った流行りもある。猫インフルエンザだ。外でばかり遊んでいた「ジーロ」君という白に薄い茶の斑点がある元気の良い猫ちゃんだ。そのジーロだろう、風邪を何処からか貰って来て、我が家の猫ちゃんたちはみんな風邪を引いてしまった。今でも数匹はクシュン、クシュンとくしゃみと言うか、咳というか、結構辛そうにしている。中には3、4日入院して点滴を打つ羽目になった子もいる。
 ということで、また寒波がやってくるそうだ。今、またあらためて防寒対策をしているところだ。まぁ何と手のかかるスタッフだ。しっかり仕事しないとおまんまももらえなくなるよ。
by fumotoya | 2012-01-23 19:08 | 猫ちゃんスタッフ騒動記

由布の院異聞6

「本多博士の由布院温泉発展策~由布院の将来を予言する~」
d0248399_9481961.jpg 時代は一気に近代へと突入する。いや、今回の主人公「本多静六博士」の生涯を考えると「江戸末期」「明治」「大正」「昭和」という激動の時代ということになるのかもしれない。本多博士は慶応2年、埼玉県は菖蒲町で生を受け、苦学し東京農科大学を卒業、ドイツのミュンヘン大学へ自費留学。帰国後、東京帝国大学の教授となるわけだが、この人生、生き方に今注目が集まっている。「流れる水のごとく、弛みなく強く生きよ」という博士からのメッセージが現代サラリーマン諸氏の共感を集め、バイブル的書物として、書店売上のトップにランクインしているのだ。「人生即努力、努力即幸福」という「努力の人物」本多博士は、単に林学博士としてではなく、人生の哲学者としてその存在感を示しているわけである。今、実業之日本社より、「私の財産告白」「私の生活流儀」「人生計画の立て方」などが再販されているので興味のある方は読まれてみると良い。
 由布院のことに話を戻そう。その本多博士が由布院で講演したのは、大正13年10月11日、演題は「由布院温泉発展策」。大正13年というと本多博士58歳の頃、すでに森林公園の在り様にアドバイスを発していた時である。
 その由布院での講演会の前段部分でも、本多博士の哲学が披露されていた。「かのフランスの大思想家ルソーの言った言葉に『自然の成せるものは総て美なり。人間の手に依りて腐敗す』と言うことがありますが、・・・」由布院の、保たれているかどうかは別にして「自然以外何も無い」という一つのコンセプトはここが原点なのかも知れない。この前段部分では、西欧での森林公園の考え方やバーデンバーデンでの温泉利用の仕方など、当時の日本では考えもつかない話が豊富に盛り込まれている。
 そして、本題である「由布院温泉発展策」へと話は入っていく。この中身を聞くと驚かずにはいられない。すべてが的を得て、由布院の指標となっているのだ。交通機関に関わる話では、自動車道の整備を提言し、また周遊するという「面的観光チャネル」の提案をも行なっている。また具体的に「柿ノ木の並木道」と「柿の名産品」というところまで言及していたのだ。
 さらに金鱗湖については「土砂の流入を防ぎ」「湖畔別荘はこれを撤去して岩と湯と水の出口を活かして利用することに努め」と将来を見越した活用法をも提言している。また、場所は違うのだが温泉利用の「遊泳温泉場」の建設を勧め、そこには茶屋や休息場、駐車場を付帯させるとある。自然生態を守った中での「植物園」「動物園」構想や、「大運動場」「温室栽培」までをも提言している。旅館に至っては「温泉宿の改良」ということで「居室と食堂とを別ち」と「泊食分離方式」を教授しているのである。そして、結びでは「健康第一の文化生活に適合する温泉場となすよう新式方針の下に諸設備をなすこと」としているのだ。
 由布院の理念として「保養温泉地構想」というものがある。この構想自体に大きな影響を与えている、本多博士の「由布院温泉発展策」。問題、課題を多く抱えている由布院の今、今一度この原点とも言うべき「由布院温泉発展策」を見直す時ではなかろうか。「流れる水のごとく、弛みなく強く生きよ」の本多博士のメッセージは、「自然に逆らい、流れが止まりつつあるかもしれぬ、弛み過ぎて危機感も無く、それぞれが弱くなっているのかもしれぬ」と警告を与えてくれているのかもしれない。
by fumotoya | 2012-01-04 09:45 | 由布の院異聞

由布の院異聞その5

d0248399_9373619.jpg由布の院異聞その5~閑話休題~ 
由布院の名所?である金鱗湖。訪れた観光客の方々は「これが湖?まるで大きな池じゃない」と首をかしげる。確かに「大きな池」なのだ。
 では、なぜ金鱗湖が極めて小さな湖として有名になってしまったのか。金鱗湖の龍伝説は後におくとして、その由来と不思議に目を向けてみた。
 昔、金鱗湖は岳下(たけもと)の池と呼ばれていた。(由布岳の下にあるこの地域は、現在でも岳本地区と呼ばれている)その岳本を明治17年、幕末の儒学者として有名な「毛利空桑」が病を治すために湯治に訪れていた。当時から、由布院村は小さな湯治客のための小さな温泉場だった。(その頃は、湯平温泉の方が温泉場としては有名を馳せていた)その湯治の合間、空桑は散策の途中、岳下の池に立ち寄る。頃は夕刻、湖面を眺めていると鮒であろうか、ハエであろうか、夕日のさす湖面に、魚が飛び跳ねた。一瞬、その鱗がキラリと光る。夕日を浴びた魚の鱗が金色に光った様に空桑の目に写った。「美しい。岳下の池と言う俗称しかないのでは・・・。金鱗湖と名づけては如何か」ということで、それ以来、金鱗湖と呼ばれるようになったと言う。
 それ以来、地元では、池であろうが、湖であろうが、金鱗湖は金鱗湖なのだ。
 金鱗湖の大きな特徴として、湖の中からお湯と清水が湧き出していることだ。由布岳に向かって、左側からは「温泉」が、右の神社よりからは「清水」が湧き出している。湖底には、それらの「釜」(地元の人は、それぞれ「湯釜」「清水釜」と呼ぶ)が七つほどあると言う。湖底で温水と冷水がぶつかり合い、混ざり合う。自然の不思議としか言いようが無い。お魚さんたちにとって、暮らしやすい環境がそこにはあるに違いない。
 事実、金鱗湖での冬の遊びの中に「魚捕り」があった。昔の金鱗湖は、水も綺麗で今のように汚れてはいなかった。そこで、冬でも、下ん湯で体を温めて金鱗湖へと裸で泳ぎ出る。(昔は露天から金鱗湖と繋がっていて、フルチンの姿でそのまま泳ぎ出ることができた)湖底の湯釜めがけて潜る。筒状にへこんだ湯釜の中には、いろんな魚たちがゆったりと泳いでいるのだ。そこで手を叩く。お魚さんたちは、びっくりして、慌てて逃げようとする。幾匹かの魚は、その拍子で、釜の周囲の柔らかい泥の中へと顔から突っ込んでしまい、身動きがとれなくなってしまう。そこを、何の造作も無く、手で魚を捕まえ、湖面へと浮上するわけだ。
 もちろん金鱗湖は1年中、子どもたちの遊び場であったことは言うまでもない。40年ほど前までは、湖の真ん中あたりに飛び込み台もあったように記憶している。湖畔には、菱の実も自生し、笛を作ったりして遊んでいた。その後、民家や宿などが増えていき、多量の、土砂を含んだ雨水や汚水が流れ込むようになってしまった。今や、湖底はヘドロの堆積で歩くもままならぬようになってしまっている。残念。
 湖面に立つ湯気、もや、霧は湖底が汚れても、今も変わらなく美しい。有名な朝霧の発生の起因のひとつとも言う。四季を通じて、周囲の木々と湖の空気を味わうことが、ただ単に温泉を楽しむだけの温泉地ではない、一つの癒しの哲学を感じさせてくれる。
 由布院では、朝寝坊は損。「早起きは三文の得」早起きして、金鱗湖の周りを散歩してみては如何かな。冬の金鱗湖は、凛として、特に美しいから・・・。
by fumotoya | 2012-01-04 09:43 | 由布の院異聞


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