由布の院異聞その4

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 さらに時は流れ、戦国の世。九州も戦乱に巻き込まれ、大分では大友氏が隆盛を極め、大友宗麟の代、本拠地である豊後を中心に豊前、筑前、筑後、肥前、肥後、日向の北半分、壱岐、対馬など、六カ国二島を支配「九州王」とまで呼ばれるようになり、九州探題の要職にまでついた。
 その大友宗麟、キリシタン大名としても有名であることはみなさん周知のとおり。ポルトガル、スペイン、明などとの交易に早くから取組み、そんな中、キリスト教との出会いがあった。そして、あのフランシスコザビエルを招き、様々なキリスト教文化を取り入れてきた。医学、音楽など、後に日本がオランダとの交易を活性化する礎をこの時から築いていったと言っても過言ではないだろう。
 そのザビエル、由布院を訪れたこともある。というのも、当時、この由布院という小さな山里に約2千人とも言われるキリシタンがいたからだ。そして、その由布院に、教会はもとより、セミナリヨ(神学校)や病院までもが置かれていたという。その病院では、すでに温泉治療が行なわれていたと記録に残っている。その記録の記された古文書はローマ法王庁に残り、由布院の地名も記されている。「ゆふいん」はFの発音が飛ばされ、「YUIN」として書かれている。きっと「ゆーいん」として宣教師の耳に届いていたのだろう。
 現在、セミナリヨなどの遺跡は残っていない。またどこにあったのかも定かではない。しかし、禁教令以後、隠れキリシタンとして信仰を守った住民たちは、その墓石にクルスを判らぬように刻み、400年以上たった今も、その歴史を私たちに伝えてくれている。
 山の上に立ち、ザビエルは小さな盆地を見下ろし呟く。「美しい」。そう言ったかどうかは判らないが、田園風景に、ぽつんポツンと建つ茅葺の農家の安らぎの風景を目の当たりにしたことは確かであろう。キリスト教という異文化を何ら抵抗も無く受け入れた由布の山里。新しいものへの好奇心と、そこからもたらす、無限の可能性に夢を馳せていたのではないだろうか。
 今の由布院にも、いろいろなものへの興味、好奇心の強さは継承されている。しかし、宗麟が目指した壮大な理想郷「むしか」建設のような、夢を抱き、夢を描き、そして、形にしていこうという環境とその力は、残念ながら減衰していっているのではないだろうか。
# by fumotoya | 2011-09-30 18:34 | 由布の院異聞

由布の院異聞その3  金鱗湖のお話し

由布の院異聞その3
d0248399_21142525.jpg 由布院の名所?である金鱗湖。訪れた観光客の方々は「これが湖?まるで大きな池じゃない」と首をかしげる。確かに「大きな池」なのだ。
 では、なぜ金鱗湖が極めて小さな湖として有名になってしまったのか。金鱗湖の龍伝説は後におくとして、その由来と不思議に目を向けてみた。
 昔、金鱗湖は岳下(たけもと)の池と呼ばれていた。(由布岳の下にあるこの地域は、現在でも岳本地区と呼ばれている)その岳本を明治17年、幕末の儒学者として有名な「毛利空桑」が病を治すために湯治に訪れていた。当時から、由布院村は小さな湯治客のための小さな温泉場だった。(その頃は、湯平温泉の方が温泉場としては有名を馳せていた)その湯治の合間、空桑は散策の途中、岳下の池に立ち寄る。頃は夕刻、湖面を眺めていると鮒であろうか、ハエであろうか、夕日のさす湖面に、魚が飛び跳ねた。一瞬、その鱗がキラリと光る。夕日を浴びた魚の鱗が金色に光った様に空桑の目に写った。「美しい。岳下の池と言う俗称しかないのでは・・・。金鱗湖と名づけては如何か」ということで、それ以来、金鱗湖と呼ばれるようになったと言う。
 それ以来、地元では、池であろうが、湖であろうが、金鱗湖は金鱗湖なのだ。
 金鱗湖の大きな特徴として、湖の中からお湯と清水が湧き出していることだ。由布岳に向かって、左側からは「温泉」が、右の神社よりからは「清水」が湧き出している。湖底には、それらの「釜」(地元の人は、それぞれ「湯釜」「清水釜」と呼ぶ)が七つほどあると言う。湖底で温水と冷水がぶつかり合い、混ざり合う。自然の不思議としか言いようが無い。お魚さんたちにとって、暮らしやすい環境がそこにはあるに違いない。
 事実、金鱗湖での冬の遊びの中に「魚捕り」があった。昔の金鱗湖は、水も綺麗で今のように汚れてはいなかった。そこで、冬でも、下ん湯で体を温めて金鱗湖へと裸で泳ぎ出る。(昔は露天から金鱗湖と繋がっていて、フルチンの姿でそのまま泳ぎ出ることができた)湖底の湯釜めがけて潜る。筒状にへこんだ湯釜の中には、いろんな魚たちがゆったりと泳いでいるのだ。そこで手を叩く。お魚さんたちは、びっくりして、慌てて逃げようとする。幾匹かの魚は、その拍子で、釜の周囲の柔らかい泥の中へと顔から突っ込んでしまい、身動きがとれなくなってしまう。そこを、何の造作も無く、手で魚を捕まえ、湖面へと浮上するわけだ。
 もちろん金鱗湖は1年中、子どもたちの遊び場であったことは言うまでもない。40年ほど前までは、湖の真ん中あたりに飛び込み台もあったように記憶している。湖畔には、菱の実も自生し、笛を作ったりして遊んでいた。その後、民家や宿などが増えていき、多量の、土砂を含んだ雨水や汚水が流れ込むようになってしまった。今や、湖底はヘドロの堆積で歩くもままならぬようになってしまっている。残念。
 湖面に立つ湯気、もや、霧は湖底が汚れても、今も変わらなく美しい。有名な朝霧の発生の起因のひとつとも言う。四季を通じて、周囲の木々と湖の空気を味わうことが、ただ単に温泉を楽しむだけの温泉地ではない、一つの癒しの哲学を感じさせてくれる。
 由布院では、朝寝坊は損。「早起きは三文の得」早起きして、金鱗湖の周りを散歩してみては如何かな。冬の金鱗湖は、凛として、特に美しいから・・・。
# by fumotoya | 2011-08-27 21:16 | 由布の院異聞

由布の院異聞(2)

 時は流れ、律令の時代。この由布院に「院」が置かれる。「院」とは物品を保管する倉のことで、由布院の地名の元となった柚富(楮から作られた繊維)を保管する「院」が設置されていたことをご存知の方は多いと思う。「柚富郷(ゆふごう)、郡(こおり)の西に在り。この郷の中に栲(たく)の樹(き)、多(さわ)に生(お)いたり。常に栲の皮を取りて以ちて木綿(ゆふ)に作れり。困(よ)りて柚富郷と曰(い)ふ」(豊後国風土記)の一文はいろいろな場面で目にする。しかし、ここでも何ゆえ由布院にという疑問が沸いてくる。確かに当時貴重であった繊維製品の産地であるということもある。柚富で織られた布は、よく神事などに用いられていた。
 もう一つ、由布院にこの頃設置されていたものがある。「駅」だ。駅という字が、馬へんであることで分かるように、昔の駅は、馬便の停留所であり、馬の交換場所でもあった。その「駅」が由布院に在ったのだ。(金鱗湖入口のところにあるローソンの近くにあったと言われている)
 モノが産まれ、モノが流れる。またモノを運ぶための手段が考えられ、そこにヒトが集まる。そして、ヒトが集まることによって、情報が流れる。そういった一つのチャネルが、この律令の時代から由布院では形成されていた。そう考えるのが自然だろう。そして、こういうヒト、モノ、カネ、情報の循環が、由布院の風土を培い、現在の由布院の一風変わった?文化の楚になっていったとは考えられないだろうか。とにもかくにも、環境と風土と地理的なポジション、スケール感が現在の由布院の源にあることは間違いない。
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# by fumotoya | 2011-08-14 20:53 | 由布の院異聞

拍手と合掌

 今日は朝から高校野球観戦だ。地元大分県代表の明豊高校の試合第一試合からある。おそらく勝利すると思っているが、高校野球は何が起きるか分からない。そこがまたおもしろいのだが。
仕事をしながらながら観戦なのだが、なかなか両チームとも得点がはいらない。いらいらしているとようやく三塁打でチャンスを迎える。おっとその後にも次から次へと三塁打。いつの間にか6点ねのゲット。楽勝だワイと猫ちゃんたちの朝ごはん作り。数が多いだけに手間もかかる。そして、一ヶ月半位前に誕生したのであろう赤ちゃん猫への給餌。注射器で猫の赤ちゃん用ミルクとスープを与える。今日はいくらか元気になったように感じるのだが、如何せん痩せすぎていて体力がないから心配だ。自分たちは、この猫に「チビクロ」と名前を付けて、育児放棄をした親猫に換わって面倒を見ているのだ。育児放棄をしたのも、彼が障害を持って生まれてきたからなのだろうと思う。後ろ足に力が入らずに、かろうじて前足の力だけで這いずり回る状態だ。最初のうちは母乳にありついていたのだが、二週間ほど前からは親猫は知らん振りを始めた。
 それから体力を消耗、とても生きていける状態ではなくなってしまった。もっと早く保護してやればと悔やまれる。家の中の大きなゲージの中での寝たきりの闘病生活が始まった。そして今日、危篤状態を迎え、近いうちにいつかはこうなると予想はしていたものの、この世に生まれて、ほんの僅かの時間しか、猫でいられない現実に寂しさを覚える。「がんばれ、チビクロ!」高校野球以上の声援とスキンシップを贈るが、その眼力は弱い。明日の朝までが峠かもしれない。手を合わせ、とにかく祈る。「神様、仏様、キリスト様、この小さな命をお救いください」と。
 傍らで我が家の猫たちも心配しているのだろうか、寂しそうな鳴き声をチビクロに向かって呼びかけていた。
■写真は力のなくなったチビクロ
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# by fumotoya | 2011-08-12 21:42 | 猫ちゃんスタッフ騒動記

今年の8月9日

 お盆を前に今日は満館となる忙しさ。うちにしては珍しいことだ。お客様に感謝。
 今日は長崎での記念式典、お昼前に黙祷し、ヒロシマに続き、ナガサキの犠牲者の方々の鎮魂を静かに祈った。併せて、歪のではじめた現代社会の混迷に、将来に亘る「平和」と「平穏」をお願いし祈念する。戦後66年が経過し、前の大戦も昔話となり、風化しようとしている感が否めない。自分たち戦後派こそが、先人の苦労を引き継ぎ、伝承していかねばならない話がたくさんあるなんて気持ちが歳とともに強くなってくるから不思議だd0248399_19531039.jpg
 なんてことを殊勝にも思いつつ、不健康な体をいたわりつつ、仕事のお手伝いをする。しかし「猫の手にもならない」ようだね。猫のご飯の用意でもするかな・・・。空を見上げると、怪しい雲がムクムクと立ち上がっていた。
# by fumotoya | 2011-08-09 19:55 | 長閑なる毎日


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